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第29話 昭和史

Category: SM  

平成28年10月19日  曇り
今日はどんよりとした曇り空です。昨日に比べたら凌ぎやすいです。
今日スーパーを覗いたら店先に秋の味覚柿がたくさん並んでいました。柿のなかで1番大きい大秋柿は
ひと玉350円で出てました。 ひゃーたゕ~い・・・(*_*; 我が家の柿で我慢 我慢。。。


◆今日は戦後70年のSM史についていろいろ調べてみました。・・・少し長いですが・・・(笑)
今では当たり前の用語になってる”SM”このSM用語はず~っと昔から使われてた訳ではありません。
個人的には昭和の時代からだと思います。
◆1940年代(昭和15年〜昭和24年)
1945年(昭和20年)8月の第二次世界大戦の終戦と共に、それまで抑圧された生活を強いられていた人々のエネルギーが一気に爆発します。早くも同年の8月末には、日本SMの父とも言える「伊藤晴雨(いとうせいう)」が、浅草の「東京倶楽部(とうきょうくらぶ)」という映画館の地下で、『浅草名物見世物展』と題した挿絵芝居を開催していたという記録があります。

 終戦の2年後にあたる、1947年(昭和22年)1月にはストリップの原点といえる「額縁ショー(がくぶちしょー)」がおこなわれ、大変な人気を集めました。これは、半裸の女性が絵のように動かずに、大きな額の中で立っているというたわいのないショーでしたが、戦後すぐのその時期としては、画期的な出来事であったことが容易に想像できます。

ここでは、乳房を露わにした女性が、両手首縛りで吊り上げられて、折檻を受けるシーンが見せ場として含まれており、戦後のSMショーの原点ともいえる作品です。

◆1950年代(昭和25年〜昭和34年)
 1940年代の終わりから始まるストリップのブームは、1950年代の初めに1つのピークを迎えます。
1950年代のストリップは、現在、われわれがイメージするストリップとは大きく異なり、脚本家、演出家、コメディアン、楽団などを抱える大規模な職業集団でした。浅草には多くのストリップ劇場が集まり、いろいろな趣向をこらしながら人々の目を楽しませていました。「伊藤晴雨」も1951年(昭和26年)に、浅草の「百万弗劇場」で責めの芝居を上演しています。この「伊藤晴雨」の責めの芝居の成功に刺激されて、「浅草フランス座」でも責めのシーンを取り入れたストリップが上演されていたようです。「責めの芝居」とは、縛ったり鞭打ったりのSM的要素を多く含んだ芝居と考えてください。

 典型的な「カストリ雑誌」としてスタートした「奇譚クラブ」ですが、1952年(昭和27年)の春あたりから次第にSM色の強い雑誌へと変貌していきます。
「奇譚クラブ」は、SMやその他の多様なフェティシズムに興味をもつ人を購読者の対象とすることで、生き残りを図ります。これは、この頃に編集責任者となった「須磨利之(すまとしきゆき)」の影響によるものとされています。「須磨利之」は、「美濃村晃(みのむらこう)」「喜多玲子(きたれいこ)」などの多くのペンネームでいろいろな場面に登場する、日本SMの育ての母とも言える重要な人物です。

「奇譚クラブ」「風俗草紙」「裏窓」など、いずれも内容的にはSM色の強い雑誌ですが、まだこの頃には「SM」という言葉は一般的ではありません。この頃の他の雑誌のタイトルにも、「SM」という言葉は一切使われていませんし、雑誌の記事の中にも、「SM」という言葉が使われることは極めて稀でした。「責め」「残酷」「猟奇」「変態」などの表現が、「SM」という言葉の代わりに使われていた時代です。

◆1960年代(昭和35年〜昭和44年)
1962年(昭和37年)の8月9月合併号に、「団鬼六(だんおにろく)」の『花と蛇』の第1回目が掲載されます。ただし、まだこの時点は「団鬼六」という名は誕生していません。「花巻京太郎(はなまききょうたろう)」という名前での執筆です。

「団鬼六」は、1950年代の後半に「黒岩松次郎(くろいわまつじろう)」の名で文壇にデビューしています。SM小説ではなく一般小説の書き手としてです。

さて、「花巻京太郎」の名で発表した『花と蛇』ですが、「団鬼六」自身は長期連載を考えてはいなかったようですが、読者からの強い支持を受け、編集からの強い要望もあり、最終的には続編を含めて、奇譚クラブ1971年(昭和46年)まで続く、大長編SM小説となりました。1963年(昭和38年)7月号の第4回目から、作者が新たなペンネームの「団鬼六」の名に変更されていますので、この時点で「団鬼六」が誕生したことになります。『花と蛇』は、その後も出版社を変えながら何度も再版され、何回も映画化され、日本のみならず世界的にも知られたSM小説の代名詞のような存在になっています。

さて、1950年代までは、雑誌、芝居(ストリップ)SMに関連した娯楽メディアの中心でしたが、1960年代に入るとそこに映画が加わることになります。

1960年代の初までは、大手映画会社がほぼ独占的に映画製作をおこなっていました。松竹、東宝、大映、新東宝、東映などです。ところが、1960年頃から、次第に大手映画会社に属さない、小さな映画会社による作品製作が始まります。
これが、いわゆる1960年代前半の「ピンク映画(ぴんくえいが)」の誕生です。

この時代、これらのピンク映画を通じて、SMの存在を始めて知る人も少なくはなかったと思われます。

◆1970年代(昭和45年〜昭和54年)
「奇譚クラブ」「裏窓」を中心に進展してきたSM雑誌文化ですが、1970年に入り激変が起こります。
1970年(昭和45年)11月に、『実話雑誌』11月増刊号として東京三世社から「SMセレクト(えすえむせれくと)」が創刊されます。

「SMセレクト」「奇譚クラブ」や「裏窓」との大きな違いは、編集者が必ずしもSM愛好者ではなかった点です。
彼らは、ビジネスとして「SM」を前面に出すことが、成功のチャンスと見抜き、「SMセレクト」とそのものズバリの雑誌名にして、須磨利之のアドバイスを受けながら、一流の執筆家と絵師を集めて雑誌を作りました。これが大成功をおさめ、「SMセレクト」にいざ続けと、「SMファン)」(1971)、「SMキング」(1972)、「SMコレクター」(1972)、「SMフロンティア」(1974) 、「SM奇譚」(1975)、「S&Mスナイパー(1979)など、続々と新しいSM雑誌の創刊が相次いだのが1970年代です。

 1970年代は、60年代後半の学生運動の流れを受けて、若者を中心に「エロス」を肯定的に生活の中に取り入れようとした時代でもありました。
このような状況下、1971年(昭和46年)11月には、「日活ロマンポルノ(にっかつろまんぽるの)」がスタートします。これは、経営難におちいっていた日活がとった苦肉の策ではありましたが、大手映画製作会社が堂々とエロ専門作品を制作するといった世界にも類を見ない珍しい路線変更として注目されています。

この「日活ロマンポルノ」の1作品として、1974年(昭和49年)に谷ナオミを主演とした『花と蛇』が作られます。この作品がまた、大きく観客を集めることになり、その後も、『花と蛇』や『団鬼六』の名を冠した「日活ロマンポルノ」作品が続々と制作され、ますますSMの愛好者人口が増えることになります。

◆1980年代(昭和55年〜平成元年)
 SM文化の進展は、メディアの進化と密接なつながりを持ちます。雑誌、舞台、映画に加えて、1980年代にさらにビデオがSM史に大きな影響を与えます。
ビデオの技術そのものは1970年代初期に登場していましたが、家庭用のビデオデッキが普及する1970年代後半ぐらいから、エロビデオソフトの制作も活発化します。

SM雑誌も、1970年代に引き続き勢いを保っていました。SM雑誌の出版に関わる人達の中からも、新興のAV分野に乗り移った人も少なくありません。
「吉村彰一」はSM雑誌の出版社の社員でしたが、1983年(昭和58年)に「シネマジック(しねまじっく)」を設立し、SM作品を多く制作します。
リアルで激しいSMプレイが注目された時代です。「玉井敬友」、「長田英吉」「桜田伝次郎」のストリップ劇場でのSMショーも大人気を博していました。ストリップの演出家、「川上譲治(かわかみじょうじ)」も1980年代にはSMショーの企画を多く手がけ、「根暗童子」などが出演していました。

 「桜田伝次郎」は1970年代の後半から精力的にSMショーを開催していましたが、1985年(昭和60年)に突然SMショーから引退します。この時、それまでの「桜田伝次郎」が開催していたSMイベントを引き継いだのが「明智伝鬼(あけちでんき)」です。「明智伝鬼」は1978年(昭和53年)に、最初は観客として「桜田伝次郎」のSMショーに参加しますが、やがてショーの終了後に、観客に緊縛を披露するという形が定着したようです。「桜田伝次郎」からSMショーを受けついだ「明智伝鬼」は、複数のSM定例会を開催し、次第に注目を集めていきます。

人前で裸にして、首輪をつけて、縛って、鞭でたたいて、ローソクを垂らして、バイブで責める、といったステレオタイプ的なSMのイメージがビデオや映画を通じて、広く一般の人まで知れわたったのが1980年代のSM文化です。1980年代の後半には、インターネットの前身である、パソコン通信が始まりますが、まだまだパソコンそのものが今のように一般的ではありませんでしたが、まだSMメディアとしての力は限定的なものでした。

 SMの知名度がどんどん広がり、積極的にSMプレイに参加する機会が増えてくる1980年代です。

◆1990年代(平成2年〜平成11年)
1990年代中頃には新宿にライブハウスである「ロフトプラスワン(ろふとぷらすわん)」がオープンし、一般的なイベントと共に、「長田英吉」、「明智伝鬼」「雪村春樹(ゆきむらはるき)」「有末剛(ありすえごう)」「千葉曳三(ちばえいぞう)」「ダーティ工藤(だーてぃくどう)」などといった人々のショーが公演され、一般の人が、気軽にSMを目にする機会が増えました。

この時期、1995年(平成7年)には、「長池士(ながいけたけし)」が米国を訪問し、日本の緊縛を紹介する写真集とビデオを製作し販売します。また、「明智伝鬼」も1999年(平成11年)に欧州ツアーをおこない、日本の緊縛を紹介しています。

この時期、風俗店としてのSMクラブの数も飛躍的に増大します。それまでの、SM雑誌やSMビデオで観賞するだけのSMから、体験するSMへと愛好家の意識が変化していきます。全盛期には東京の五反田だけでも50軒以上のSM関係の風俗店があったようです。1990年代は、戦後から進展してきたSM文化の円熟期ともいえる10年間です。

◆2000年代(平成13年〜平成21年)
 1990年代後半から急速に広まるインターネットは、産業構造そのものを大きく変化させてしまいます。インターネットの普及で、まず大きなダメージを負うのが「紙文化」すなわち、書籍や新聞です。SM雑誌も例外ではなく、栄華を誇ったSM雑誌がどんどんと休刊に追い込まれて行きます。次にダメージを受けたのが、映像文化です。ビデオは、この時期DVDにとって置きかわりますが、動画産業そのものがかつてのような勢いを失ってしまいます。現在のわれわれの普段のインターネットを生活を見ればわかるように、簡単に、無料、あるいは格安料金で欲しいコンテンツが手に入る時代に突入しました。

2000年に入り、SMはますます身近なものとなってきます。インターネットにより、SMに興味をもつ人々がどんどんと増えていきました。また、詳細なハウツー教材書籍やDVDが出版され、プロでない人々も練習次第で緊縛を実践することができるようになります。それにあわせて、「ハプニングバー(はぷにんぐばー)」やSMサークルなどでの技術交流も盛んになっていきます。SM雑誌やSMビデオを観て楽しむSMから、自らが参加して楽しむSMの世界が広がっていきます。一方で、2005年(平成17年)11月に公布された「風営法」改正でプレイルーム付きのSMクラブが消滅することになり、SMクラブは大きな影響を受けます。

2009年(平成21年)には、ロンドンで「ロンドン緊縛美の祭典(ろんどんきんばくびのさいてん)」が開催されます。ここには、日本からの参加者はいないのですが、インターネットや雑誌などを通じて日本のSMに興味をもった海外の愛好者が開催した日本のSM祭典です。これに先立ち、2008年(平成20年)には、米国の緊縛愛好家により『The Beauty of Kinbaku(緊縛の文化史)』と題した、本格的な日本緊縛の歴史を解説した書籍が出版されています。21世紀に入り、日本のSM文化は大きく世界にはばたいていきます。

◆2010年代(平成22年〜)
現在、われわれが想像する以上に、世界では日本のSM、特に緊縛(Kinbaku, Shibari)が注目されています。米国、英国、フランス、ベルギー、イタリア、デンマーク、オランダ、ドイツ、オーストリア、スイス、スウェーデン‎、スペイン‎、ポルトガル、チェコ‎、ロシア、カナダ、オーストラリア、台湾‎など多くの国で、日本式の緊縛が熱心に勉強されています。海外からは、緊縛を学ぶために来日する人の数はどんどん増えており、また、2010年代に入ると、国内のプロの緊縛師が海外から公演や講習会のために招聘される機会が増えています。それぞれの国で、緊縛(Kinbaku, Shibari)は独自の進化を遂げ、多様性を広めつつあります。

 また、20代、30代の若手の緊縛師が次々と登場したのも2010年代の特徴です。この背景には、多くの先達の努力により、安全で安定した緊縛技術が完成されたことがひとつにあります。全国各地で緊縛教室が開催され、多くの人が緊縛技術を習得・実践する『100万人の緊縛』時代に突入しました。「縄処」等とよばれる、緊縛を安全に楽しむサロンが全国に設置され、国内外の緊縛愛好家が集まり、お互いの技術を高めています。緊縛事故回避のための、安全面に対する意識も高まってきています。

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model  HITOMI
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 2016_10_19

Comments

 

相変わらず、HITOMI さんは、スタイルも良く、綺麗ですね。

毎回楽しみにしております。
シンゴ  URL   2016-10-19 23:36  

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