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第30話 縄と女

Category: SM  

平成28年10月20日 曇り
◆縄と女
この世に男と女がいる限り縄を愛する人は無くならないでしょう・・・
専門的なことはわかりませんが、 それが人間の心の中に根ざしているような気がします。

縛りは、あくまで男と女が愉しむための緊縛プレイです。
女のからだを痛めつけたり、怪我をさせるようなことは厳に慎むべきです。
女を労わり愛する心のない人は、プレイをする資格がないと自分は思います。
それは本物のSMや真のマゾ女を知らないからだと言う人もいるでしょう。。。

近年、裸の女を縛ることが、縄化粧の美だとか芸術だという議論があります。
特に日本の緊縛術が世界的に認められ、日本の美意識などとも言われています。
SMによる緊縛がある程度、社会の認知を受けることは喜ばしいことですが、 しかし自分に
とっては、女を縛るのはエロ以外の何物でもありません。
そして日陰に咲く花のようにあまり目立たない方がいいような気がします ・・・

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第29話 昭和史

Category: SM  

平成28年10月19日  曇り
今日はどんよりとした曇り空です。昨日に比べたら凌ぎやすいです。
今日スーパーを覗いたら店先に秋の味覚柿がたくさん並んでいました。柿のなかで1番大きい大秋柿は
ひと玉350円で出てました。 ひゃーたゕ~い・・・(*_*; 我が家の柿で我慢 我慢。。。


◆今日は戦後70年のSM史についていろいろ調べてみました。・・・少し長いですが・・・(笑)
今では当たり前の用語になってる”SM”このSM用語はず~っと昔から使われてた訳ではありません。
個人的には昭和の時代からだと思います。
◆1940年代(昭和15年〜昭和24年)
1945年(昭和20年)8月の第二次世界大戦の終戦と共に、それまで抑圧された生活を強いられていた人々のエネルギーが一気に爆発します。早くも同年の8月末には、日本SMの父とも言える「伊藤晴雨(いとうせいう)」が、浅草の「東京倶楽部(とうきょうくらぶ)」という映画館の地下で、『浅草名物見世物展』と題した挿絵芝居を開催していたという記録があります。

 終戦の2年後にあたる、1947年(昭和22年)1月にはストリップの原点といえる「額縁ショー(がくぶちしょー)」がおこなわれ、大変な人気を集めました。これは、半裸の女性が絵のように動かずに、大きな額の中で立っているというたわいのないショーでしたが、戦後すぐのその時期としては、画期的な出来事であったことが容易に想像できます。

ここでは、乳房を露わにした女性が、両手首縛りで吊り上げられて、折檻を受けるシーンが見せ場として含まれており、戦後のSMショーの原点ともいえる作品です。

◆1950年代(昭和25年〜昭和34年)
 1940年代の終わりから始まるストリップのブームは、1950年代の初めに1つのピークを迎えます。
1950年代のストリップは、現在、われわれがイメージするストリップとは大きく異なり、脚本家、演出家、コメディアン、楽団などを抱える大規模な職業集団でした。浅草には多くのストリップ劇場が集まり、いろいろな趣向をこらしながら人々の目を楽しませていました。「伊藤晴雨」も1951年(昭和26年)に、浅草の「百万弗劇場」で責めの芝居を上演しています。この「伊藤晴雨」の責めの芝居の成功に刺激されて、「浅草フランス座」でも責めのシーンを取り入れたストリップが上演されていたようです。「責めの芝居」とは、縛ったり鞭打ったりのSM的要素を多く含んだ芝居と考えてください。

 典型的な「カストリ雑誌」としてスタートした「奇譚クラブ」ですが、1952年(昭和27年)の春あたりから次第にSM色の強い雑誌へと変貌していきます。
「奇譚クラブ」は、SMやその他の多様なフェティシズムに興味をもつ人を購読者の対象とすることで、生き残りを図ります。これは、この頃に編集責任者となった「須磨利之(すまとしきゆき)」の影響によるものとされています。「須磨利之」は、「美濃村晃(みのむらこう)」「喜多玲子(きたれいこ)」などの多くのペンネームでいろいろな場面に登場する、日本SMの育ての母とも言える重要な人物です。

「奇譚クラブ」「風俗草紙」「裏窓」など、いずれも内容的にはSM色の強い雑誌ですが、まだこの頃には「SM」という言葉は一般的ではありません。この頃の他の雑誌のタイトルにも、「SM」という言葉は一切使われていませんし、雑誌の記事の中にも、「SM」という言葉が使われることは極めて稀でした。「責め」「残酷」「猟奇」「変態」などの表現が、「SM」という言葉の代わりに使われていた時代です。

◆1960年代(昭和35年〜昭和44年)
1962年(昭和37年)の8月9月合併号に、「団鬼六(だんおにろく)」の『花と蛇』の第1回目が掲載されます。ただし、まだこの時点は「団鬼六」という名は誕生していません。「花巻京太郎(はなまききょうたろう)」という名前での執筆です。

「団鬼六」は、1950年代の後半に「黒岩松次郎(くろいわまつじろう)」の名で文壇にデビューしています。SM小説ではなく一般小説の書き手としてです。

さて、「花巻京太郎」の名で発表した『花と蛇』ですが、「団鬼六」自身は長期連載を考えてはいなかったようですが、読者からの強い支持を受け、編集からの強い要望もあり、最終的には続編を含めて、奇譚クラブ1971年(昭和46年)まで続く、大長編SM小説となりました。1963年(昭和38年)7月号の第4回目から、作者が新たなペンネームの「団鬼六」の名に変更されていますので、この時点で「団鬼六」が誕生したことになります。『花と蛇』は、その後も出版社を変えながら何度も再版され、何回も映画化され、日本のみならず世界的にも知られたSM小説の代名詞のような存在になっています。

さて、1950年代までは、雑誌、芝居(ストリップ)SMに関連した娯楽メディアの中心でしたが、1960年代に入るとそこに映画が加わることになります。

1960年代の初までは、大手映画会社がほぼ独占的に映画製作をおこなっていました。松竹、東宝、大映、新東宝、東映などです。ところが、1960年頃から、次第に大手映画会社に属さない、小さな映画会社による作品製作が始まります。
これが、いわゆる1960年代前半の「ピンク映画(ぴんくえいが)」の誕生です。

この時代、これらのピンク映画を通じて、SMの存在を始めて知る人も少なくはなかったと思われます。

◆1970年代(昭和45年〜昭和54年)
「奇譚クラブ」「裏窓」を中心に進展してきたSM雑誌文化ですが、1970年に入り激変が起こります。
1970年(昭和45年)11月に、『実話雑誌』11月増刊号として東京三世社から「SMセレクト(えすえむせれくと)」が創刊されます。

「SMセレクト」「奇譚クラブ」や「裏窓」との大きな違いは、編集者が必ずしもSM愛好者ではなかった点です。
彼らは、ビジネスとして「SM」を前面に出すことが、成功のチャンスと見抜き、「SMセレクト」とそのものズバリの雑誌名にして、須磨利之のアドバイスを受けながら、一流の執筆家と絵師を集めて雑誌を作りました。これが大成功をおさめ、「SMセレクト」にいざ続けと、「SMファン)」(1971)、「SMキング」(1972)、「SMコレクター」(1972)、「SMフロンティア」(1974) 、「SM奇譚」(1975)、「S&Mスナイパー(1979)など、続々と新しいSM雑誌の創刊が相次いだのが1970年代です。

 1970年代は、60年代後半の学生運動の流れを受けて、若者を中心に「エロス」を肯定的に生活の中に取り入れようとした時代でもありました。
このような状況下、1971年(昭和46年)11月には、「日活ロマンポルノ(にっかつろまんぽるの)」がスタートします。これは、経営難におちいっていた日活がとった苦肉の策ではありましたが、大手映画製作会社が堂々とエロ専門作品を制作するといった世界にも類を見ない珍しい路線変更として注目されています。

この「日活ロマンポルノ」の1作品として、1974年(昭和49年)に谷ナオミを主演とした『花と蛇』が作られます。この作品がまた、大きく観客を集めることになり、その後も、『花と蛇』や『団鬼六』の名を冠した「日活ロマンポルノ」作品が続々と制作され、ますますSMの愛好者人口が増えることになります。

◆1980年代(昭和55年〜平成元年)
 SM文化の進展は、メディアの進化と密接なつながりを持ちます。雑誌、舞台、映画に加えて、1980年代にさらにビデオがSM史に大きな影響を与えます。
ビデオの技術そのものは1970年代初期に登場していましたが、家庭用のビデオデッキが普及する1970年代後半ぐらいから、エロビデオソフトの制作も活発化します。

SM雑誌も、1970年代に引き続き勢いを保っていました。SM雑誌の出版に関わる人達の中からも、新興のAV分野に乗り移った人も少なくありません。
「吉村彰一」はSM雑誌の出版社の社員でしたが、1983年(昭和58年)に「シネマジック(しねまじっく)」を設立し、SM作品を多く制作します。
リアルで激しいSMプレイが注目された時代です。「玉井敬友」、「長田英吉」「桜田伝次郎」のストリップ劇場でのSMショーも大人気を博していました。ストリップの演出家、「川上譲治(かわかみじょうじ)」も1980年代にはSMショーの企画を多く手がけ、「根暗童子」などが出演していました。

 「桜田伝次郎」は1970年代の後半から精力的にSMショーを開催していましたが、1985年(昭和60年)に突然SMショーから引退します。この時、それまでの「桜田伝次郎」が開催していたSMイベントを引き継いだのが「明智伝鬼(あけちでんき)」です。「明智伝鬼」は1978年(昭和53年)に、最初は観客として「桜田伝次郎」のSMショーに参加しますが、やがてショーの終了後に、観客に緊縛を披露するという形が定着したようです。「桜田伝次郎」からSMショーを受けついだ「明智伝鬼」は、複数のSM定例会を開催し、次第に注目を集めていきます。

人前で裸にして、首輪をつけて、縛って、鞭でたたいて、ローソクを垂らして、バイブで責める、といったステレオタイプ的なSMのイメージがビデオや映画を通じて、広く一般の人まで知れわたったのが1980年代のSM文化です。1980年代の後半には、インターネットの前身である、パソコン通信が始まりますが、まだまだパソコンそのものが今のように一般的ではありませんでしたが、まだSMメディアとしての力は限定的なものでした。

 SMの知名度がどんどん広がり、積極的にSMプレイに参加する機会が増えてくる1980年代です。

◆1990年代(平成2年〜平成11年)
1990年代中頃には新宿にライブハウスである「ロフトプラスワン(ろふとぷらすわん)」がオープンし、一般的なイベントと共に、「長田英吉」、「明智伝鬼」「雪村春樹(ゆきむらはるき)」「有末剛(ありすえごう)」「千葉曳三(ちばえいぞう)」「ダーティ工藤(だーてぃくどう)」などといった人々のショーが公演され、一般の人が、気軽にSMを目にする機会が増えました。

この時期、1995年(平成7年)には、「長池士(ながいけたけし)」が米国を訪問し、日本の緊縛を紹介する写真集とビデオを製作し販売します。また、「明智伝鬼」も1999年(平成11年)に欧州ツアーをおこない、日本の緊縛を紹介しています。

この時期、風俗店としてのSMクラブの数も飛躍的に増大します。それまでの、SM雑誌やSMビデオで観賞するだけのSMから、体験するSMへと愛好家の意識が変化していきます。全盛期には東京の五反田だけでも50軒以上のSM関係の風俗店があったようです。1990年代は、戦後から進展してきたSM文化の円熟期ともいえる10年間です。

◆2000年代(平成13年〜平成21年)
 1990年代後半から急速に広まるインターネットは、産業構造そのものを大きく変化させてしまいます。インターネットの普及で、まず大きなダメージを負うのが「紙文化」すなわち、書籍や新聞です。SM雑誌も例外ではなく、栄華を誇ったSM雑誌がどんどんと休刊に追い込まれて行きます。次にダメージを受けたのが、映像文化です。ビデオは、この時期DVDにとって置きかわりますが、動画産業そのものがかつてのような勢いを失ってしまいます。現在のわれわれの普段のインターネットを生活を見ればわかるように、簡単に、無料、あるいは格安料金で欲しいコンテンツが手に入る時代に突入しました。

2000年に入り、SMはますます身近なものとなってきます。インターネットにより、SMに興味をもつ人々がどんどんと増えていきました。また、詳細なハウツー教材書籍やDVDが出版され、プロでない人々も練習次第で緊縛を実践することができるようになります。それにあわせて、「ハプニングバー(はぷにんぐばー)」やSMサークルなどでの技術交流も盛んになっていきます。SM雑誌やSMビデオを観て楽しむSMから、自らが参加して楽しむSMの世界が広がっていきます。一方で、2005年(平成17年)11月に公布された「風営法」改正でプレイルーム付きのSMクラブが消滅することになり、SMクラブは大きな影響を受けます。

2009年(平成21年)には、ロンドンで「ロンドン緊縛美の祭典(ろんどんきんばくびのさいてん)」が開催されます。ここには、日本からの参加者はいないのですが、インターネットや雑誌などを通じて日本のSMに興味をもった海外の愛好者が開催した日本のSM祭典です。これに先立ち、2008年(平成20年)には、米国の緊縛愛好家により『The Beauty of Kinbaku(緊縛の文化史)』と題した、本格的な日本緊縛の歴史を解説した書籍が出版されています。21世紀に入り、日本のSM文化は大きく世界にはばたいていきます。

◆2010年代(平成22年〜)
現在、われわれが想像する以上に、世界では日本のSM、特に緊縛(Kinbaku, Shibari)が注目されています。米国、英国、フランス、ベルギー、イタリア、デンマーク、オランダ、ドイツ、オーストリア、スイス、スウェーデン‎、スペイン‎、ポルトガル、チェコ‎、ロシア、カナダ、オーストラリア、台湾‎など多くの国で、日本式の緊縛が熱心に勉強されています。海外からは、緊縛を学ぶために来日する人の数はどんどん増えており、また、2010年代に入ると、国内のプロの緊縛師が海外から公演や講習会のために招聘される機会が増えています。それぞれの国で、緊縛(Kinbaku, Shibari)は独自の進化を遂げ、多様性を広めつつあります。

 また、20代、30代の若手の緊縛師が次々と登場したのも2010年代の特徴です。この背景には、多くの先達の努力により、安全で安定した緊縛技術が完成されたことがひとつにあります。全国各地で緊縛教室が開催され、多くの人が緊縛技術を習得・実践する『100万人の緊縛』時代に突入しました。「縄処」等とよばれる、緊縛を安全に楽しむサロンが全国に設置され、国内外の緊縛愛好家が集まり、お互いの技術を高めています。緊縛事故回避のための、安全面に対する意識も高まってきています。

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平成28年10月18日 晴れ
昨日からまた暖かくなりましたね・・・気温も30度を超え夏服に逆もどりです。
昨日は2度更新したので驚いた人もいたかも。。。(笑)


◆亀甲縛り

亀甲縛り(きっこうしばり)は、縄による縛り方の一つ。現代では荷造り等の実用面よりも、主にSMプレイにおける最も一般的な緊縛様式として用いられています。 元々は米俵を結ぶ様式でしたが、人への縛りにも用いられるようになりました。

拘束感が少ない感じですが、見た目が美しいため多用される事が多く、ただし下半身の責めとしては弱いため、股縄と兼用すると効果的なんです。。。。。なお、厳密には身体に這う縄が六角形になるものを亀甲縛りと呼び、菱形になるものを菱縄縛りと呼ぶのですが、菱縄縛りを亀甲縛りと混同してる人が多くいます。完成した全体としての見た目が亀の甲を連想させるという観点から、菱縄縛りも亀甲縛りに含める場合もあるみたいです。

自分は亀甲縛りは好きではありません。亀の甲を連想する6角形の形が嫌なのです。なので1枚も画像はありません。(笑)
自分が好きな縛りは菱縄縛りです。菱に作った縄に絞り出された女性の乳房が大好きでいろんな女性に施しました。
そうして、いろいろ試行錯誤を重ねて七つ星縛りが生まれたのです。。。(*^^)v

多くのSMサイトがあるのですが、自分が好きな菱縄縛りの画像は殆どありません。無いなら自分でと言う訳で・・・(笑)
1枚目が亀甲縛りの参考画像です。(笑)
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◆思い出5人目は僕がこれまでで1番辛かった出来事です。
今日はブログ再開1ヶ月で祝いを込めて・・・1日2度目の更新です。

今から5年半ほど前に1度だけ逢った女性がいます。関西圏住みで40代で大学に通ってる子供もいる主婦でした。
随分前からMに目覚めてこっそりと、いろんなSMサイトを覗いていたそうですが、あるサイトから自分の北斗七星のブログを知り訪れるようになったのです。

本人が思っていた憧れが合ったのでしょう・・・メールが来るようになりました。
聞くと関西住みだと言うので逢うのは無理だと思っていたのです。

ところが〇〇日の都合はどうかのメールが突然着ました。少し驚きでした・・・OKの返事をすると、
朝1番の新幹線でくるとの連絡がありました。新幹線だと約3時間で来ますから・・・

当日の朝9時ごろに彼女は指定した駅のバス停に来ました。そして横ずけした僕の車に乗り込んできたのです。
挨拶もそこそこに直ぐ近くのホテルに行きました。彼女はご主人には同級生と逢うとの理由を告げてきてたのです。

ホテルの部屋でコーヒーを飲みながら色々な話をしましたね・・・Mに目覚めて今まで過ごしてきたことなど。。。
そんな彼女は1度もこれまでイッた事がない女性でした。 気持ちは良くてもイケない女性は多くいます。

男性に比べて女性のカラダは非常にナイーブに出来ています。ただ刺激を与えればイケるなんて単純ではないんです。
しかも、女性の7割がSEXでイケない悩みを抱えてるのです。SEXでイケない要因の一端が”男性側”にある場合が多いのです。

そんな彼女が突然涙を見せたのです。やっと願いが叶った喜びの涙でした。そんなにも待ち焦がれていたのを知ると
嬉しかったです。 彼女を休憩を挟み色々縛りを体験させました。二人で過ごした6時間余りはあっという間に過ぎて行きました。

その後も何度もメールでいろんなことを話したりしてたのですが、何せ遠距離ゆえに逢うのは難しく、
二人で相談して近くにいい人がいたらとの結論になり、ブログで募集したら数人の男性からメールが着ました。

その中で自分が良さそうな男性を紹介して何度かのメールで相性を確かめ実際に逢い、その後にプレイへと進んだのです。
何度かプレイの報告のメールも着ましたが、ある日彼女から彼と別れたいと連絡が着ました。

多分何度かのプレイで違和感を感じたかも知れません。別れを告げる彼女に対し男性は彼女を罵倒し一方的な要求をしました。
2度と僕とは連絡を取るなとか・・・他にもあったようです。

僕はそのことを知り男性に猛抗議しました。もっと優しく送り出してくれないのかと・・・そうしたら 抗議する自分にも反抗的になったのです。 自分が良かれと思ってしたことで彼女の心に深い傷を負わせてしまったのです。

その後に何度か僕の誕生日にお祝いのメールが何年か着ました。今でも僕の誕生日を覚えてくれてるのです。
一方通行のメールで僕の返信は届きませんでした。

彼女が帰る際もう1度必ず逢いに来ますと言って別れた笑顔を今でも思い出します。

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平成28年10月17日 晴れ
だいぶ日中の時間が短くなってきましたね。。。秋らしい日々ですがもう台風シーズンも終わりならいいのですが・・・
ことしもいろんな災害に見舞われた年でした。温暖化のせいか災害の規模も大きくなった気がします。

早いものでブログを再開して今日で1ヶ月になりますが、何とか続けて来られて安堵しています。(笑)
日々の更新は意外と大変なんです。何を書こうかとか・・・家族の目を盗みながら・・・(笑) こそこそと・・・(*_*;

そんな苦労も知らず見るだけの人は多く、コメントをくれる人はごくごく少数で数人しかいません。(笑)
まぁ~いろいろ考えると辞めたくなるので気楽にマイペースで頑張って見ます。(^^)/


◆背面合掌しばり。
背面合掌しばりは背なかで手を合掌して縛る技法です。見た目のインパクトはありますよね・・・
肩関節が柔らかい人でないと出来ないしばりですが、
できる人にとっては「そんなに苦じゃない」らしいです…。 背面で手を合わせる意味は…

罪人の反省、祈りを表している。 哀しく切ない歴史を持つ緊縛技法。

他にも背面観音しばりとか後手合掌縛り、後手観音縛り、裏合掌しばりなどの呼び名もあります。

この背面合掌しばりはやってみたら分かりますが凄く難しい縛りです。
後ろで合掌した手が綺麗に合わさった状態でないと見た目が美しくありません。

手首、親指、他の指も縛って固定するのが難しいです。(^^;
自分的には満足できたしばりは1度も出来ていません。。。(*_*;
過去に合掌しばりをした女性は3名しかいませんが出来そうな人は何人かいました。

高く首の近くまで引き上げれた合掌しばりはS性がそそられます。さらに胡坐に縛ったり、逆さ吊りなら
更にそそられてきます。高手後手しばりなど厳しい縛りが大好きなんです。。。。(*^^)v

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1~2枚モデル30代半ば 3~5枚の画像のモデルは40代半ばの女性です。 6~7枚30代前半。
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第25話 歴史

Category: SM  

平成28年10月16日  曇り
昨夜の花火競技大会は小雨が降るあいにくの天気でしたが約30万人が訪れたようで結構賑わっていました。



今日は縛り「緊縛」の歴史について調べてみました。

日本における“縄”の神聖さを何度も強調したくなる緊縛ですが。。。。
その際、起点となるのは縄文時代で、
“縄文”という名称は、出土した土器の表面に縄目文様がほどこされていたことから付けられました。

人類最古の土器とされる縄文土器。
この不思議な装飾から、日本人の文化が古(いにしえ)より“縄”と密接な関係にあったようです。
そして縄文時代後期にまでさかのぼることができ、日本固有の信仰“神道”へと続くのです。

もともと明確な教義を持たず、汎神論的な自然崇拝・祖先崇拝を基本とする神道。
中でも注目するのは“注連縄”で、

木、岩、川、滝など自然物に廻らされたものや、神社の鳥居や社に架かるものなど、いずれも聖所であることの証しであり、結界としても機能しています。
注連縄の存在は、その内側が神聖であることを示し
この視点から、正月の門松や相撲にまで言及し、“縄”が持つ宗教的神秘性をつまびらかにするのです。

■緊縛の原型「捕縄術・刑罰」
日本における“縄”の歴史と聖性を紐解いたのち、向かう先は「捕縄術」です。
捕縄術は、素早く、確実に相手の動きを統御するための戦闘技術であり、応仁・文明の乱から戦国時代にかけて発達しました。

その間、武芸諸派によって様々な捕縄の形態も考案されていきました。
戦闘に欠かせない技術として重宝された捕縄術は、戦国の世を泰平した徳川時代に入ると、同心(警察)が用いる捕縄術や刑罰へと進化をします。

相手の身分によって縄の結び方が変えられるなど、この頃から実用性のみならず、美観上の配慮もなされるようになったのです。
その縛り方が現代緊縛の原型となっています。
茶道や生け花、さらに包装にいたるまで、日常性を美化する我が国の性質が、捕縄においてもなされることになるのです。

■縛りの美の発生「歌舞伎・浮世絵」
日本固有の実務的要請であった「捕縄術・刑罰」は、見世物としてのドラマ性から「歌舞伎・浮世絵」などにも登場するようになり、
ここに「捕縄術」が一つの美的要請として、すなわちアートとして成立する土台が築かれてきました。

そしてSMを題材とする絵師・物書きが活躍するメディア(主にSM雑誌)の相次ぐ創刊により、「縛り・責め」の市場が形成され、徐々に現代緊縛への形を整えるのです。
ちなみに「緊縛」という熟語が用いられたのは、1952年『奇譚クラブ』誌上だったとされています。

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平成28年10月15日  晴れ
今年は何かと葬儀が多いです。ここ3ヶ月で3件。昔からよく言われるのは、死者が寂しくて、ご近所さんなどを道連れにしてしまうということなんでしょうか・・・

また3とか5とかいう数字は陰陽道からきてるとされています。 陰陽道は、明治にほぼ断絶しましたが、その影響は葬儀などに残っています。

昨日執り行われた叔母の葬儀は万感の思いがこみ上げてきました。
叔母には男の子がいないせいか自分をとても可愛がってくれたのです。とってもおしゃれで綺麗な叔母でした。

大恋愛で結婚し苦労しながらも財をなし子供たちにも家を持たせ比較的裕福な生活を送っていました。
夫に先立たれて一人暮らしでしたが、近くの娘たちが世話をしてて施設には行きたくないと常ずね話していたのです。

久しぶりに叔母の大好きだった地元では有名などら焼きを持って行くと家は鍵が掛かり留守でした。温泉でもいってるのかな~と
娘に電話を掛けたら施設に入所したと返事が・・・あんなに嫌がってたのにと思いながら見舞いに行くと寝たきりで
言葉も交わせない状態になっていました。あれから3ヶ月叔母は帰らぬ人になりました。

棺の中の叔母はしわも無くおだやかで本当に美しい顔でまるで人形が眠ってるようでした。

今日は毎年恒例の花火競技大会があるので孫達が泊りがけで遊びにきます。今年は復興もかねて多くの花火が
打ち上げされるので多くの人でにぎあいそうです。


今日の想いで4人目は絵梨ちゃんです。
絵梨ちゃんは当時25歳  スタイルも良くて可愛い女性でモデルの経験もあり竹を割ったような性格でした。
自分と付き合ってる時は隣県に彼らしき男性はいて時々逢いに行ってました。

絵梨ちゃんが話す彼の印象は自分からすると余り良い関係だとは思えなくて別れた方がいいよと忠告はしていました。
そんな彼に逢いに行くのが楽しみな絵梨ちゃんでしたが、ある日彼とは別れたと言ったのです。

理由は言わなかったけど、相当嫌なことをされたのは推測できました。
性格的に前向きで明るい絵梨ちゃんに新しい彼ができ付き合い初めてしばらくしてから自分と逢う時、彼が送り迎えを
していました。何度か顔を合わせたこともあります。(苦笑)

自分は縛りはしてもSEXはしません。今まで1度も・・・(笑)どんなに頼まれてもしません。
そのことを彼に話して彼も同意してたのです。

彼の希望で、髪を短くしたり、パイパンになったりもありました。

やがてその彼との間に子供ができ絵梨ちゃんは結婚しました。絵梨ちゃんとは30回以上逢いましたが
今は何人かのお母さんになってることでしょう。

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平成28年10月13日  曇り
今日明日は親族の葬儀など忙しくて今になりました。今週は孫も遊びにくるので忙しくなりそうです。



不感症の女性より、可愛い喘ぎ声を出してくれる女性や感度のよい女性の方が男性に好まれます。中でもイクという行為は、快感の中でも最上級に位置するもの。男性もそれを知っているので、必死になって女性をイカそうと頑張ってくれます。……が、イケないものはイケない! 感じないものは感じない!! かといって大好きな彼に向かって「感じない」「ヘタクソ」と責めることは出来ません。

そんな時、イッたふりをする女性は多い。...(笑)



■どうしてイッたふりをする必要があるの?

優しい男性の中にも眠っている征服欲……、男性の本能というのでしょうか。セックスの時は、そういった自分勝手とも思える本能が目覚めてしまう男性が多いもの。女性の喘ぎ声や快感に震える姿は、“男性の本能を満足させる行為”となるのです。



そして男性が本能的に征服欲を持っていることを知っているからこそ、世の女性は“イッたふり”をするのです。実際に女性を満足させてくれるテクニシャンな男性ばかりだと、イクふりなどする必要はないのですけど……。

女性のイッたふりを責めるのであれば、自らのテクを男性は身に着けるべき! イッたふりは大好きな彼を満足させてあげるための優しいウソなのです。だからこそ、彼が見破れないほど上手なウソを吐いてあげましょう。(笑)

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平成28年10月12日 曇り
昨日から秋用に衣替えしました。今年の我が家の柿の木はこれまで1番実をつけました。
その柿も黄色く色づき食べごろなので毎日食べています。味覚の秋です。(^^♪

自分は毎日晩酌をします。以前は缶ビール1本でしたが、今は焼酎が多くなりました。
夏は氷割で冬はお湯割りで飲んでいます。ほろ酔い気分のまま遅くとも10時には夢の中です。


男と女では異性の見方は違ってくると思っています。前にも書いたけど、自分は女性のすらりとした足に目がいきますが、太めの大根足はパスです。(笑)
ミニでハイヒール姿の女性を見るとドキドキします。、ここに良くコメントをくれてる陽子さん
スレンダーで物凄く足がきれいで見入ってしまいます。(笑)特に階段を上がってるミニスカート姿で下着が見えてる
後姿に目がいきます。足首から太ももまでのラインがたまりません。。。こんな感じ
ミニ

北斗七星から新北斗七星で1番多く目にするのがHITOMIちゃんですが・・・
彼女は女の子が二人いるお母さんです。年に60回以上逢っていますが、以前1度ご主人とのなりそめを聞いた事が
あります。どこに惚れて一緒になったのか・・・??(笑)と

彼女には付き合ってる男性は他にもいたそうです。男前で背も高く収入もあったそうで、結婚するには理想的ですが
一つだけ嫌なことが・・・何だと思いますか。??(笑)

それは鼻毛だそうで、それが気になって嫌で彼からのプロポーズも断ったのです。(笑)
女の目線は男のいろいろな所を見ています。無精ひげや手足の爪、服装など・・・

男で小指の爪を異常に伸ばしてる人もいますが、あれって鼻くそを取るため伸ばしてるの??(爆)と勘繰りたくなります。
ブランドで着飾ってる人もいますよね・・・どんなに着飾ってても小さなケアが行き届いていないと女は覚めてしまうのです。

ちなみに今のご主人とは趣味が同じだったそうですが・・・(笑)今の目線は何処だろうと聞きたくなります。

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model   HITOMI

 2016_10_12


平成28年10月11日 晴れ
今朝は肌寒いです。先日の雨をさかいに秋らしくなりました。あの大きな揺れからもうすぐ半年になります。
やっと落ち着いてきた感じでしたが、昨日の早朝に揺れを感じました。今朝も近くの街で震度3とか・・・
もう・・本当にうんざりです。

昨日は孫達に逢いに行って来ました。少しずつ車窓から見る街並みも復興してきてる感じがしました。


今日は過去の思い出その2です。
SMと聞けば嫌悪感を抱く人はまだまだ多くいますが、中には友達同士で共有してる人もいます。
今回はそんな友人2人とSMを楽しんだ話です。 一人は真知子、もう一人は美香いずれも仮名

真知子は旦那からドメスティックバイオレンス「DV」を受けて離婚してたバツイチ子持ちで、
彼女と初めて逢った印象は、とても綺麗な人だなぁ~と思いました。

離婚してから体重が10キロほど増えたそうで、体型は少しポツチャリしてました。
SMは初体験でしたが感じ方は凄かったです。 (笑) 何度も何度も絶頂を迎えて暫くは起き上がれない状態が何度もありました。

そんな経験を真知子は友人美香に話したらしく、美香も興味が湧き逢うことになったのです。
美香はスタイル抜群で綺麗な人なので当然彼もいました。

この美香も真知子と同じように燃え方は尋常でなく何度も上り詰めるタイプでした。
特に二人のお気に入りは、R-1スターターとプレデターワンドの組み合わせで絶叫の声を上げ逝きまくってました。(笑)

真知子とは20回近く、美香とは10回ほど逢いましたが過去にはいろんな女性から何度も友達を紹介されたことがあります。
友人を交えた3Pも3回あります。でも3Pは物凄く疲れますから余りやりたくはありません。 (苦笑)

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上4枚model  真知子  その他美香  1番最後の画像で使っているのがプレデターワンドです。(笑)modelは違います。
 2016_10_11

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気が付けば世間からは高齢者と言われる年齢になりましたが精力は衰えても性癖は薄れる事も無くまだまだ元気な爺さんのブログです。

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